平和のありがたみを感じる

2015.05.25 Mon
沖縄旅行の最後に、こちらに寄って来ました。
豊見城市にある、旧海軍司令部壕です。


旧海軍司令部壕


ひめゆりの塔、平和祈念公園をはじめとして、
沖縄には第二次世界大戦の戦争遺跡というか、歴史が残っていますが、
戦争遺跡好きのワタシにとっては、
行かねばならぬ、何事も!と言う感じで固い意志がありました。


旧海軍司令部壕_1


壕へ続く階段・・・・
すごく重い、冷たい空気が漂っていて、とても緊張感がありました。
正直なところ、怖いな・・・と思ったワタシです。


壕内案内図


壕内はまるで迷路のようで・・・
順路が示されていましたが、見取図を見ても分かるように、とても複雑です。


司令官室


ここは壕の心臓部・・・司令官室。
旧海軍司令官であった、大田海軍少尉が手榴弾で自決された部屋。


司令官室_1


中に入りました。
大田司令官の辞世の句が正面に飾られていました・・・・


手榴弾の弾痕


部屋の壁一面に、手榴弾の弾痕が当時のままで残っていました・・・
重いです、やはり・・・
司令官室の通路を挟んだ向かいの部屋の壁にも、
自決された時の手榴弾の弾痕が、当時のままで残っていました。
手榴弾の威力の恐ろしさを知りました・・・


旧海軍司令部壕_2


ひんやりとした通路をひたすら進んで行きました・・
右にあるのは、下士官兵員室です。
6月、沖縄がアメリカ軍の攻撃にさらされていた頃、
この部屋は、立ったままで睡眠、休息を取る兵士で溢れていたそうです。
自然と手を合わせて来ました・・


旧海軍司令部壕_3


兵士達が敵の攻撃に向けて出動したとされる出口です。
ここから出た兵士達は、誰も生きて帰って来る事はなかったそうです・・・
今回、沖縄に来て初めて沖縄戦の実情を知ったワタシ。
アメリカ軍の目的は、日本本土攻略のための航空基地・補給基地の確保。
日本軍の目的は、アメリカ軍に大打撃を与えて、
戦争継続を断念させる決戦を最高機関が志向したのに対し、
沖縄現地の司令部は、当時想定されていた本土決戦に向けた時間稼ぎ(持久戦)の捨石作戦。
沖縄は、本土の後ろ楯になったのですね・・


米兵と子供達


壕には当時、4000人余りの兵士が収容されていたそうです・・・
そして、当時を知る写真がたくさん残されていました・・
米兵と子供達。
沖縄の子供達は米兵を恐れる事なく、笑顔で一緒に写ってる写真がいくつもありました。
何が正義で、何が悪なのか・・
戦争とは、何だったのか・・・
何だったのでしょう・・・・・・
何だったのでしょう・・・・・・

これでワタシの「大人のひとり修学旅行」を終ります。



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